
私は俳句や和歌をあまり読まない。また、詠んでみようともほとんど思わない。「ほとんど」と言ったのは、かつて私の個人誌「芦屋芸術」に十代、二十代の時に書いた奇妙な?俳句を若干数発表しているのだから。
だから私はこの本のいい紹介者ではないが、迷った末、ここにご紹介しよう、そう心に決めた次第だった。
句集「提外日記」 冨永滋著 風詠社 2019年12月3日発行
この本の著者は2015年に六十六歳で死去している。以前、著者の詩集は、「マッチ箱の舟」と「未完の愛の詩集」の二冊を読んで芦屋芸術のブログにその読書感想文を投稿している。余談になるが著者の生まれは私と同じ1949年だった。
著者は晩年、2009年からのことではあるが、毎日雨の日も風の日も自宅を出て桂川から嵐山周辺を散策した折、脳裏をかすめた言葉を小さなメモ帳に書き留めながら歩き続けていた。そして著者はそのメモ帳を「提外日記」と呼んでいた。天神川にかかる「提外人道橋」という小さな橋の名に由来しているという。
この句集はその「提外日記」にしたためられたおびただしい句の中から、著者の没後、妻多津子氏が生前の夫の意を引き受けて成立したものだった。例えば、2010年の句にこうあった。
八月の傘の中より家見ゆる(本書54頁)
雨の中でも著者は思うところあって散策を続けていたのであろう。全体を読めばわかるが、夏の強い日照りに打たれることもものともせず歩き続けている。激しい自問自答が心内を駆け巡っていたことと私は推察する。おそらくこうだろうか。特定の宗派に属しはしないが、苦行僧に近いと言っていいのかもしれなかった。
手の嫌悪ものみな滑る違和の春(本書143頁)
青イチョウ影に色なしという真理(本書148頁)
歩きながら、突然こういう境地に至って句が出たのであろうか。
またおそらく、著者は強く妻を愛していたに違いなかった。2012年から妻は親の介護のため月の半ばは家を空けて九州にいた。いわゆる別居生活を強いられたのだった。
帰る鴨北へ妻は南へ母を看に(本書140頁)
耳に足す不在の妻の足す冬を(本書192頁)
全体の作品の流れは、基本的には2009年から始まって2014年を経、2015年に至っている。2015年は先に述べた通り、著者の死の時である。その年、一年をまっとうせず、十一月に永眠している。最晩年の作品の中から二句ご紹介しておこう。
上弦を過ぎ朧夜の月の斧(本書233頁)
水面の天体にいる赤蜻蛉(本書284頁)
簡潔な紹介文にしようと思っていたが、思わぬ横滑りで駄弁を弄してしまった。著者ならびに編集者多津子氏には見当違いな文章を書き連ねた非礼をお詫びしたい。
さて、著者の絶筆をご紹介してこの筆を擱く。
唐突に命損なう秋となる(本書291頁)
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