
ゴミゴミした町を歩き回りながら、スマホを左耳に押し当て、電話をしていた。最初、仕事の話かと思っていたが、どうやらいつのまにか話題が変わっていて私生活の秘密めいた打ち明け話になっているのだった。そうやっておそらく半日以上、もう時間感覚はすっかり失われていたが、歩き続け、変転きわまりない会話がスマホの中を流れていた。先程まで女の声だと思っていたが、電話の相手は、一面識もない男だった。
何故こんな長電話になるのか皆目わからなかった。政治の話になっていたのに違いなかった。誰それがどうのだとか、そうだあいつにもなんとか、なんて、電話の向こうから初耳の男や女の名前がずらずらあふれでて来た。だったら、そうじゃないか。君、何とか協力しなくっちゃ。相手の男は資金援助の話をしている。私はそんな金は持っていません。そんな余裕なんて。いっぱいいっぱいの生活なんで。確かそう突っぱねたのを記憶している。
電話の向こうが騒がしくなっている。側に誰がいるのだろう。ひとりではない。おおぜいいる。椅子が倒れる音と同時に電話が不通になった。ゴメンネ。女の声がした、ほんとにゴメン。もっと楽しい話してあげる。どこまでもあなたにお付き合いしてほしいの。いまから、すぐに。今夜会ってくれない。出来るだけ早く、ふたりっきりで、ホテルでお食事したい。食事が終わっても、ずっとよ、ずっと……Mはスマホを左耳から離し、時間を見た。午前三時四十五分だった。この女、時間の観念がまったくないじゃないか。今夜何てとっくに終わってしまったじゃないか。もう数時間で夜が明けてしまう。
いつになったら俺は解放されるんだ。資金援助を吹っ掛ける一面識もない男や誘惑する振りをして会う気なんて毛頭ない女と長電話しているだけで。こんなことじゃ、いつまでたっても、ほんとうに行きたいところへはどこにも行けない。だったら俺は単なるお人好しだ。無駄話の長電話を受け入れ続けて時間をつぶしているだけの、お馬鹿さん。まったくのお馬鹿さん。お馬鹿さんのお人好。もうスマホなんて捨てよう。でないとスマホを握りしめたまま無駄話に明け暮れて一生を終えてしまう……時折、そんな反省をして自分を戒めながら、左耳に押し当てられたスマホで見知らぬ男女たちと何やらわけのわからないおしゃべりをMはえんえんと繰り返していた。
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