夜の会話

 人さまざま、私は晩年、この言葉の由来するところを痛切に感じている。

 こんな感情を余生で、心の底で、そっと、大切にして、この世を渡り過ぎていこうとしている。

 そもそも私の場合、妻との四十三年間、恋人のまま、つまり愛しあったまま別れた。だから、週刊誌や新聞での記事はいざ知らず、ほとんどの男と女は、私と妻のように、愛しあって暮らしていると思っていた。いや、より正確に言えば、そんなことを思ってみたり、考えてみたり、なんてしなかった。愛しあって毎日暮らしているのが楽しくて仕方なかった。

 だが、彼女を喪ってから事情は急変した。私たちの関係はむしろレアケースかもしれなかった。

 長い前置きになってしまった。

 昨夜もある女性からラインがやって来て、いつものスナックで一緒に酒を飲み、カラオケで遊んだ。彼女は歌はうまいし、レパートリーも広く、身振り手振りもステキで、夢中になって歌っている。

 彼女は人妻だった。が、夜遅くまで私のような男と遊んでいる。彼氏のことは話したがらない。一言、パワハラじゃないの、モアハラ。

 私は彼女の生きざまもステキだと思った。平日の九時五時は派遣社員としてある事務所に勤務し、それ以外に夜や休みの日もアルバイトしてみたり、そんな生活をしている。「今の仕事、わたし好きなの」、そう言って、笑っている。平日の仕事はしばしば残業もあり、夜八時までやっている時もあるのだが。

 私は彼女の話に耳を傾けながら、ひょっとしたら、別れの準備、かも。別れはしなくても、ことあれば、いつでもお別れ。一人娘も今年大学を卒業して、東京で就職先が決まっている。だから、養育費はもう必要もない。慰謝料はいらない。働きの悪いあなたから一円だって頂く気持ちなんてない。あたしひとりで生きていく。

 どうだろう。私は夜遊びをしながら五十代六十代の女性たちからいろいろなお話に耳を傾けてきた。余談になるが、彼女たちの話は、私の作品の中でちょっと違った姿で復活している。

 どうだろう。人さまざま、じゃないか。「さまざま」がとても大切じゃないか。そう思わないか。他のものとはとりかえっこ出来ない、みんな、それぞれ、ただそれしかない姿じゃないか。

 きょうは、朝七時に目覚めた。

 家事を済ませ、玄関ドアを開けると、庭の木から二階のベランダの手すりまで、スズメたち、いっぱい。

 スズメたちの朝ごはんが始まった。

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