
そこでは もう花が咲いているかもしれない
ここでは まだ涙が咲いているけれど それとも 降っているのか
⁂<追記>
ここまで書いて、つまり二行の文章と涙を流す花をノートにしたためた時、私の手は止まった。私の内面からはもう何も出てこようとはしなかった。内部から出てくる閃光、言葉の行列、奇妙な音階、そう言った事柄をノートに書きつけた後、知性や理性、常識や一般的理念などで修正・添削する、要するに、自分の内面から出てくる事柄を歪曲して世間体をよくしようとする内面物修正主義者では、私はなかった。いまさら言うまでもなく、私はそういった人々とは遥かに遠くで暮らしている。出来る限り自分の内部から浮遊する事柄をそのままの姿・形で忠実にノートに書き、描いている。従って、私の作品はこの自分というこの世にただ一つしかない個体から発生する一回的・独自的存在物だ、そう言って過言ではあるまい。この世に二度と出てこない特殊なこの事柄。またとないこの恵み。
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