
振り返ってみれば、三年前に「芦屋芸術」でお付き合いしている藤井章子さんから「千葉県詩集」第55集を送っていただき、その読書感想文を私は「芦屋芸術」のブログに投稿した。
このブログを読まれていた千葉県にお住いの詩人宮武孝吉さんからお礼かたがたご自身の詩集「内場幻想」を送っていただいた。人間の悲惨を根底に秘め、長い歳月をかけて、熟成された言葉の数々、だった。
回りくどい書き出しをしてしまったが、「詩を書く」という行為の中には、こんな不思議な縁も含まれている行為だ、読者にはそうご理解いただきたい。小さな結び目ではあるが、一面識もなく、ただひたすら「詩を書く」行為によってつながっていく。
このたびは、宮武さんのご紹介で、千葉県詩人クラブの会長をしておられる秋元炯さんからこの詩集が送られてきた。
「千葉県詩集」第58集 発行人/秋元炯 発行所/千葉県詩人クラブ 2025年11月2日発行
今号では、九十六人の詩人が詩作品を発表している。さまざまな作品が咲き乱れていて、一気に読んでしまった。とりわけ、遠い過去を言葉で再現する、あるいは、長い歳月の深さを感じさせる作品、それとも直裁に自らの老いを語る作品、こうした傾向が多々見られた。もちろん、言うまでもなく、それぞれ個人独自の輝きを持って。
例えば、川島洋の「春の散歩」(本書48頁)を読んで欲しい。「僕」と施設で生活する老いた「母」とのある春の午後の散歩の情景を母の不思議な妄想を交えてしたためている。そのうえ、二人の私的な小さな世界が、ひとつの「物語」にまで昇華されているのだった。
久遠恭子の「夜の公園」(本書58頁)のオシャレな詩篇にも、詩人の歳月の深さがこんな詩句にも鮮やかに感じ取れるだろう。
公園には人の脳が五つ
猫の脳が一つ
それぞれが違うことを考えていて
おなじ生き物にはなれないという
現実がただ重さをもってそこに座り込んでいる( 「夜の公園」第6連、本書59頁8~12行目)
木場とし子の「ヨシコさん」(本書68頁)はどうだろう。この詩篇は、たかだか三十一行の言葉で、老いをちょっとしたコメディーにまで仕立て上げているではないか。
次に濱野なな子の「私の有する小宇宙」(本書140頁)を読んでみたい。この小宇宙とは、老いた詩人自身の「脳」のことだが、自分の「脳」を語って、一個の作品を結晶させていく。そこには、幼かったころの星空まで浮かんでいる。老いることって、ひょっとしたら、ステキじゃないか。こんな詩を読んでいると、そんな錯覚、してしまうじゃないか。
まだまだほかの作品にも言及してこの詩集を楽しまなければならないだろう。だが、私のような下手な語り口に、誰か期待するだろうか。この辺が筆の納め時なのだろう。
秋元炯さん、楽しい時間を頂戴して、ありがとう。
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