牧田榮子詩集「夕焼けもせずに」を読む。

 牧田榮子さんから詩集が送られてきた。

 「夕焼けもせずに」 牧田榮子著 澪標 2025年12月31日発行

 この詩集は三部で構成されている。巻頭詩一篇、<Ⅰ>に十一篇、<Ⅱ>に十篇、<Ⅲ>に十篇、合計三十二篇の詩作品が収録されている。

 一読した印象だけを述べておきたい。

 著者の作品は、わかりづらい、理解しづらい面がある。このわかりづらさは、いったいどこから由来するのだろうか。

 作品を読んでいると、「歩行」したり、「移動」したりする状況を描いたものが多々ある。もう少し詳しく見ていこう。

 とりあえず、作品の中に登場する人物、その人物の内面に映じた世界が作品に描写されるのだが、その人物を「私」と呼ぶことにする。

 従って、この「私」という主体が「歩行」したり、あるいは、さまざまな状況の中をたとえば電車のような乗り物に乗車して「移動」したりするのだった。

 ただ、この著者の作品の特異性は、さまざまな物象の中を「移行中」、「私」の意識の流れは分裂したり、分断されてみたり、している。つまり、一定のわかりやすい意識の流れではなく、ところどころ亀裂が走り、破れている。

 おそらくこの分裂する「私」の意識が、読者に「わかりづらさ」を提供しているのではないだろうか。

 私なりに表現すれば、ここには複数の「私」が存在している。不安定ではあるが、また確かに「わかりづらい」かもしれないが。翻って思えば、一定に流れていく「私」などこの世のどこにも存在していないのではないか。

 もちろん、いや、ひょっとしたら、これは私の深読みに過ぎないかもしれない。でも、深読みするのも、読書のひとつの楽しみではないだろうか。

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