「致死量」について

この詩集は1992年10月25日にミッドナイト・プレスから発行されました。9編の作品で構成されています。
今回はその中から詩集と同名の「致死量」という作品をご紹介します。

 致死量

 一日に二合の飯を食い続けると仮定して、私は八十年で総計五八四00合の飯を食い尽くすに違いない。人生八十年――五八四00合、つまり約一五〇俵の飯が私の致死量としなければならない。
さて、私はさらに進んで推論した―― 一日に食べる飯を二合から一合に半減すれば、致死量の一五〇俵まで達するために私はおおよそ一六〇年の歳月を生きのびるであろう。逆に、一日のそれを二合から四合に倍増すれば、言うまでもなく私の人生は八十年から四十年に短縮されざるを得まい。
 ここまで推論して、私は自らの仮説を完成させるため、終日、空になった茶碗をぼんやり見つめていた――
 ――では、食わなければいったいどうなる。飯を食わなければ致死量は無限大となろう。従っておまえはひからびきった状態で永遠に生き続けるであろう。だが……それなら一度に死ぬるためには……その通りだ、一度に死ぬるためにはおまえは一五〇俵の致死量を一気に食い尽くさねばならぬ、一気に一五〇俵!……そうだったか。私はやにわに立ちあがり、この仮説を全身で実感するため、台所の米びつを頭上で引っくり返し、頭から米の雨を浴びた……
 いま、私は茶碗を酒で満たし、別の致死量をぼんやり見つめている。

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