翻訳寸感

最近、エリオット選集第四巻(彌生書房昭和43年2月20日発行)に目を通していて、その274頁、上田和夫訳の「バートン・ノートン」でギリシアの哲学者ヘラクレイトスの引用を読んだ。

<ことば>は公共のものであるにかかわらず、多くの者どもは自分だけが理解力を持っ
ているように生きている。
ヘラクレイトス断片2

このヘラクレイトスの言葉はディールス編「前ソクラテス時代の哲学者の断片」からのエリオットの引用を上田和夫が翻訳したのであろう。その断片2は、「初期ギリシア自然哲学者断片集Ⅰ」(ちくま学芸文庫2000年11月8日発行)295頁に日下部吉信編訳として、以下のように翻訳されている。

それゆえ<公的なもの、すなわち>共通なものにしたがわねばならない。なぜなら共通なものは公的 だからである。だが、ロゴスは公的ではあるが、多くの者は自分の思いしか持たぬかのように生きている。

このヘラクレイトスの言葉<断片2>の翻訳をもうひとつご紹介したい。ハイデッガー全集第55巻「ヘラクレイトス」(創文社1990年12月20日発行)の438頁から439頁。まず、この言葉に対するハイデッガーの根本姿勢は、このように翻訳されている。ちなみに翻訳者は、辻村誠三、岡田道程、アルフレド・ゲッツオー二となっている。「むしろ彼(すなわちヘラクレイトス、山下注)が言いたいことは、人間たちはその賢明さによって、我意によって、そして性急な利己的知ったかぶりによって、そして自分自身に対する執着によってロゴスから離反する、ということである。第一の断片に含まれる本来重要な他の文章は割愛して、ここには断片二を続けておこうと思う、それは以下のごとくである。」

ダカラ、共通ナモノニハ従ワネバナラナイ。シカルニロゴスハ共通ナモノトシテアルニモカカワラズ、 多クノヒトハ、自分ヒトリダケノ私的ナ思慮ヲ持ツカノヨウニ生キテイル。

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