蜃気楼

はじめて蜃気楼を見た。エジプトのアスワンからアブシンベルへの途上、車窓から砂漠に広がるオアシス。水面には黒い島影さえ浮かんで……砂漠を進軍する部隊が飢えと渇きに苛まれ、前方に現れたオアシスに向かって隊長の制止も聞かず一人の兵士が駆け出したが、行けども行けども遂にオアシスに至らず、夢遊病者のごとくさまよったあげく、バタリと倒れた、その辺りには白骨化した夥しい死体が散乱して……小学校低学年で読んだマンガの世界が僕の眼前に。

今回のエジプト行では、アマルナの遺跡を訪ねなかった。紀元前1360年頃、約十年間くらいで消滅してしまった都。フロイト晩年の書「モーセと一神教」(ジークムント・フロイト著、渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫)でモーセはエジプト人だったと言及されているが、その推論が生まれたのがこのアマルナだった。当時の神官たちの巨大となった権力と対抗するためテーベから遷都してこの地に都を造ったのは、古代エジプト新王国時代の第18王朝アメンホテプ4世だが、自らイクナトンと改名して、多神教を否定し、偶像崇拝を廃し、ファラオは神ではなく預言者だとして、すべての者は神の前で平等だとする一神教、いわゆるアトン教を宣教した。

彼の死後、ツタンカーメン王はふたたびテーベを首都にして多神教に転向するのだが、おそらく旧勢力の弾圧の中、イクナトンに影響され唯一神を信じるモーセはユダヤの民と共に新しい国を求めてエジプトを脱出。フロイトは彼をエジプト人だと主張するのだが、それはともかく、彼の教えがモーセ五書としてユダヤ教の基準を定めるであろう。そしてもはや言うまでもなくそこから、キリスト教が、イスラム教が発生するに違いない。実にイクナトンの十年間のエッセンスが、つまり一神教の原型が、エジプト人かユダヤ人かは判然しないがおそらくその周辺に存在したモーセへ、おおよそ1300年を経てイエスへ、それから約600年後にムハンマドへ、闇夜に浮ぶオリオンの三連星のようにこの世に蜃気楼するであろう。
五日前の夜、僕はエジプトから帰国した。

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