とうやまりょうこの作品「多生」

この作品は、とうやまりょうこが発行している小説の雑誌「孤帆」<こはん>vol.22(2013年12月1日発行)に掲載されている。ところで、僕は作品を読む前に「多生」という題が少し気になってしまった。

「多生」というのは、言うまでもなく六道を輪廻して何度も生まれ変わること、この世では人間だが、死んで犬に生まれ変わって、あるいは虫になってふたたびこの世を生き続けることだろう。輪廻転生するのだから、解脱していない状態、闇の中で迷っている状態に違いない。あるいは同時に、この小説に登場するふたりの女に多生の縁がある、そんな含みをもたせているのか。多生の縁、つまり前世からの因縁が、例えば前世では彼女たちは狐の姉妹であったとか。

小説を読む前からこんなあてどない自問自答をぼんやり繰り返している。話は変わるが、「編集後記」によれば、従来の「淘山竜子」をあらためて「とうやまりょうこ」とひらがなにしたとのこと。

さて、真帆とミチコという三十代半ばのふたりの女が、アパートをルームシェアして生活を始めた。最初、平凡な日常生活や職場風景をさりげなく語りながら、徐々にミチコがのっぴきならないアルコール中毒に近づいていく姿が鮮明に描かれていく。そしてついに、真帆にアルコール癖を非難されたミチコ。真帆に向き合っている緊張感から逃避するようにミチコはやはりウィスキーを飲む。「一口飲んで、頭蓋骨の中で脳が一度揺らめくような感覚がするとふっと気分が楽になった。」(同書95頁)。そしてさらに、「帰宅していの一番にお酒を飲んで、にやりと笑みを洩らす人間がどう見えるのか。」(同じく95頁)。この辺りのやりとりは確かに悲惨ではあるが、僕にはあわれ深い言葉の森の中を手探りで歩いている気持ちがする。

ミチコはアパートを飛び出し、月下の薄闇の街を彷徨する。こんなふうに描かれている。「歩き始めると月が出ているのに気がついた。早くお酒が飲みたかった。美しいものを見るのは苦手だった。」(同書96頁)。もちろんあり得ないたとえになってしまうが、あえて言えば、道端にじっとうずくまった闇の固化物がひっそり低声に語りだしたような、そんな不吉な気配が漂う最終連を引用してみよう。

耐えきれなくなり道路にしゃがんだ。固く目を閉じた。膝を抱えて何度か深呼吸した。今後ずっと月を見ないで済むようにするにはどうすればいいのかそれだけでもその場で考えて解決してしまいたかった。(「多生」最終連から)

唐突に聞こえるかも知れない。だがこの奇妙で悲痛なつぶやき、「今後ずっと月を見ないで済むようにするにはどうすればいいのか」、そのためにはおそらく人間以外の物体乃至生命体に輪廻転生しなければならないはずだが、この言葉を読んだ時、不図僕は昔読んだこんな一節を連想した。

僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?(芥川龍之介「歯車」の最終連から)

もし言葉がなかったら、自分をすみずみまで透明に認識しようなど、思いもよらなかったに違いない。誤解を恐れず言ってみれば、結局言葉は人の心の闇を細密に描き出してはくれるが、この闇を消滅させる力は、人の言葉にはない。とうやまの作品を読んで、僕はそう理解した。

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