世界の詩集第六巻「ランボー詩集」

 ボクのワイフの遺品であるこの詩集は、頁がよく繰られていて、かなりくたびれている。この詩人の詩を十九歳の彼女は、何度も繰り返して読んだのだろう。

 世界の詩集6「ランボー詩集」 金子光晴訳 角川書店 昭和42年7月10日初版

 夫であるボクはといえば、最初にランボーの詩を読んだのは高校一年生の頃、小林秀雄訳、岩波文庫版、「地獄の季節」と「飾画」だった。特に、キリスト教を軸に成立したヨーロッパ文明を言葉で破壊して、別れの唾を浴びせかけた「地獄の季節」には感動した。いつかボクも、俺の「地獄の季節」を書いてやる! そう決心した。ランボーは二十歳で「地獄の季節」を書き、その詩を暖炉の火の中に捨てて、ヨーロッパを去り、アフリカの砂漠の果てに巨万の富を求めて、身命をかえりみず放浪したのは、周知のとおりだろう。さて、夫であるボクはといえば、喜ぶべきか悲しむべきか、この歳になってやっと、俺の「地獄の季節」、その完成に近づいている。

 それはともかく、久しぶりにランボーの詩を読んで、金子光晴の名解説を拝読した。結局、茶飲み話に終ってしまう詩やその仲間から遠く離れて、行動し、放浪し、野宿し、時にアブサンをあおり、ヴェルレーヌと愛を語り、たまには革命に突っ走って、脳髄を怒涛の如く襲撃する眩暈を言葉で表現したランボーの詩に、ボクのワイフはワクワクしたり、ヒヤヒヤしたりして、何度も読み返していたのだろう。そんな彼女の青ざめた脳髄を、ボクは想像する。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る