そして、志賀直哉の短編を読んだ。

「志賀直哉はどう?」
「『暗夜行路』や『和解』などは読んだけれど……」
「わたしは、志賀直哉の短編が好き」
 もともとボクは所謂「白樺派」の作家は読まなかった。おそらく肌に合わないだろう、そんなふうにずっと思っていた。「暗夜行路」などは、「日本の名作」ということで、好悪を別にして読んだ。
 夜の東京のとある街路を歩いていて、こんなおしゃべりをして、Aが「志賀直哉の短編」が好きだと知って、昔何篇かは読んだ記憶があるが、じゃあしっかり読んでみよう、そう思った。

 「清兵衛と瓢箪・網走まで」 志賀直哉著 新潮文庫

 この短編集は、志賀直哉の二十代から三十歳過ぎまでの初期の短編十八篇で構成されている。以前どこかで読んだ短編、例えば、「范の犯罪」なども入っていた。特にこれといった感想はないが、こんなところに志賀直哉の「自分というもの」が出ているなあ、と感心した。「網走まで」という作品だが、そしてボクには深い味わいを残した作品でもあるが、末尾をこんなふうに結んでいる。
 上野発の電車で同席した網走まで行く子供連れの女性と「自分」は宇都宮で別れるのだが、別れ際に彼女が車内で書いていた二枚の端書を投函してください、そう頼まれて、端書を預かる。「自分」はその端書を読んで見たい気持がするが、読まずにポストに投函する。

「自分は一寸迷ったが、函へよると、名宛を上にして、一枚ずつそれを投げ入れた。入れると直ぐもう一度出して見たいというような気もした。何しろ、投げ込む時ちらりと見た名宛は共に東京で、一つは女、一つは男名であった。」(本書32頁)

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