イグナチオ・デ・ロヨラの「ある巡礼者の物語」再読

 無宗教の私にとって、この本の感想文を書くのは、トテモ無理だろう。生まれてからこのかた不勉強のため、キリスト教を含めて、あらゆる宗教に精通せず、ひとかけらの宗教心も宗教体験も持たない身であってみれば、それは当然の話だった。

 「ある巡礼者の物語」 イグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇佳吉訳・注解 岩波文庫 2005年4月5日第2刷

 ただ、商売で世間を渡りあるいは夫婦生活を楽しんだ無宗教の人間とはいえ、こうした本を読むことによって、神に生かされて生きた人の姿をまのあたりにするのは、けっしてムダな時間ではないだろう。というのも、少なくともこの無宗教の私といえども他の人々と同様、自分の力でこの世に生まれ出たわけでもなし、本来、生かされて生きている存在であってみれば、たとい「神」という言葉が不勉強な私には理解不能、まったく定かでないにせよ、イグナチオの「神」に生かされて生きている貴重な姿に学ぶのは、だから、先に述べたとおり、けっしてムダな時間ではないだろう。

 それはともかく、この本は、数日前に読んだ同じ著者の本「霊操」の根底をなす、イグナチオの神秘体験を、わかりやすく、簡潔に口述した書だった。神秘体験は、その体験だけに自足するものではなく、個人の体験を突き抜けて、神秘的な行為、イエスの友として他人と共に生きる聖なる活動と固く結びついているのだった。観想即行為、この事実を学ぶだけでも、本書を開く特別な意味があるのだろう。

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