R・D・レインの「自己と他者」を読む。

 先日読んだ「反精神医学」の著者デヴィッド・クーパーと反精神医学運動を共にしたこの人の本を開いてみた。

 「自己と他者」 R・D・レイン著 志貴春彦、笠原嘉訳 みすず書房 2000年5月19日第22刷

 この著作は一九六一年に発表され、その後、一九六九年にかなり改稿されて第二版が出るのだが、その第二版を翻訳したものである。

 対人関係論を詳細にわたって論じているが、初版の序にはその基本をこのように表現している。

 各々の人間は、他者の目的達成に、そしてまた破壊に相互に寄与し合っているのである。(本書3頁)

 重い言葉だった。従って、人間を理解しようとすれば、一人の人間を他者から切り離して理解することは出来ない。つまり、人間(自己)は、人間(他者)と関係するその関係の中でさまざまな経験や行動をして生きている。他者から切り離された人間は人間として成立しない。必ず人間(自己↔他者)として成立する。例えば、オオカミに育てられた人間の赤ん坊がオオカミの中で成長した、こういったケースを想起していただきたい。

 この書は、人間を自然科学の延長線上で理解せんとしたものではなく、上述した人間(自己↔他者)の関係論として展開したものだった。そして、その関係の欠陥・疎外から精神分裂病(現在は統合失調症として翻訳されている)も研究されている。

 もし、精神分裂病の病因が一個人の身体の前頭前野の障害ならば、自然科学の延長線上の治療、ロボトミー(前頭葉白質切裁術)が採用出来るのかもしれない。あるいはまた、現在主流の抗精神病薬によってドーパミンなどを調節する薬物治療も有効なのかもしれない。だが、主なる原因が人間関係上の欠陥・疎外によって発症するのだとすれば、治療方法を根本から修正しなければならない。

 精神分裂病はおおよそ百人に一人の割合で発症するという。ということは、おおよそ百人に一人の人は、家庭か社会関係の他者の中で極端に阻害された犠牲者なのかもしれない。

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