野間明子の「蒙昧集」を読む。

 ひょっとしたら夢は暗号なのかもしれない。そして、その解読が終わる頃、この世を去っているのかもしれない。言ってみれば、この本は、解読できそうでいて、できない夢、おそらく著者だけが死の瞬間、脳裏にすべての夢が帰郷して、すべてを解読する、そんな言語集積体だった。

 「蒙昧集」 野間明子著 七月堂 2017年10月18日発行

 夢の中の私小説とでも言えばいいのだろうか。例えば、頁を開いてすぐやって来る最初の夢は、鈍く光る尖った「釘」だった。この釘は夢を見ている脳(私)を突き通すのだろうか。わからない。しかし、著者の夢は、この「釘」を持つ人から死物狂いで逃げる、迫害妄想と呼べばいいのか、それとも、迫害願望とでも呼べばいいのか、それはともかく、この逼塞した作品「釘」の場景からこの詩集は開演されたのだった。

 もはや私が存在するのではなく、ぽっかり開いた眼か、あるいはその瞳孔が存在しているのか。わからない。作品「眼」は、究極的には眼と死体だけが存在する世界なのか。

 さらに読み進んでみよう。

 作品「傘」も、結局なにがなんだかわからなくなってしまうが、白くし吹く雨の中、ずぶ濡れのその人を助けようとして差し出した傘を、その人に奪われて、ただひとり雨の中にうずくまる、そんな奇妙な挫折感だけを残していく。

 こうして、二十二篇の作品によって、夢の世界の全貌が姿を現す。これは悪夢でもあり、この世を断絶した浄土なのかもしれない。わからない。著者によると、全篇のうち、作品「敵(かたき)」と作品「冷水珊瑚」は夢ではない、そんな断り書きを入れているけれども。

 最後にもう一言だけ述べておきたい。この詩集の特徴の一つとして、水の幻想があちらこちらで湧きあがる姿。さまざまなかたちを結び、乱れ、流れ、行く末は消えてゆくのか。それはあやしく、美しいまぼろしだった。

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