東川絹子の「三池の捨て子」

 この本は既に廃坑となっている三池炭鉱のある一時期を回想した、そう言った回想録だ、そういう風に読める本だろう。確かに三井三池炭鉱は一九九七年三月三十日に閉山されているのは周知のとおりである。また、この本は日本の特異な場所で高校生時代までを暮らした特異な自叙伝だ、そういう風にも読める。あるいはまた、戦後日本のエネルギー政策の最も悪質な矛盾をそこで生活した生活者としてその矛盾を表現した本だ、そんな風にも読めるのかもしれない。思えば炭鉱労働は監獄に幽閉された囚人を使っている時期もあって、動物以下に酷使され、囚人労働者は使い捨てに近い状態だったのかもしれない。一九三〇年には囚人労働は廃止されてはいるのだが。そうした生命に対するその当時の国家・企業の中枢をなしていた人々の感受性はこの本の中でも端的に表現されているのではないか。例えば、馬匹運搬による、馬の酷使だった。ここでは馬は馬であって馬ではなかった。囚人同様、動物以下の存在だった。坑道で酷使され、失明しても倒れ伏すまで使用され、死体になれば野ざらしになって雨に打たれて解体していくのだった。文献によれば、どうやらそれは事実らしい。この本にはその事実を歌った短歌まで紹介されている。一九二四年に三井炭鉱の宮原坑の馬匹運搬は全廃され、一九三〇年末までに全炭鉱の馬匹運搬は全廃された。それでもまだ百年も経ってはいないのだ

 つい前置きが長くなってしまった。とにかくこの本を読み終わって、同じ団塊の世代を生きてきた同時代人として、さまざまな感慨を抱かせる、そんな好著だった。

 「三池の捨て子」 東川絹子著/製作 N・Yポラリス 2022年11月9日発行

 ちなみに、この本の副題は、「炭鉱のカナリヤ ―東川絹子炭鉱エッセイ集―」、こうなっている。

 著者が所属している同人誌に発表したエッセイを中心に構成された本で、すべての文章が著者の父が従事した三池炭鉱につながっている。一九六〇年の炭鉱労働者の大量解雇から勃発した三池争議、一九六三年十一月九日に発生した三川鉱炭じん爆発事故、四百五十八人の死亡者を出した戦後最大の労災事故。この事故では同時に八百三十九人の二酸化炭素中毒の患者を出しているが、この事故に対してもその当時の生活者の目でこの著者は語り続けている。あるいは、企業と警察と暴力団が結託したと思われる炭鉱労働者の組合員の死亡事件も報告している。

 おそらく戦後最大の悲惨な状況の中で生活したに違いないのだろうが、そしてその「悲惨」というのは人間であることを全否定された労働環境の中でそれでも人間として生きんとした人々、しかし当局によって徹底的に弾圧された人々の世界だが、確かにそうなんだが、著者は、その当時の生活を不思議に明るく語り続けるのだった。この本を読むことは、著者の「不思議に明るい」語り口の根源を学ぶことにあるだろう。すなわち、もっとも危機的な状況にはもっとも豊かな救いもまたやって来るのかもしれない。たがいに愛しあって生きるという救いが。

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