カテゴリー:宗教系
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星野元豊の「講解教行信証 補遺篇」
本書は星野元豊が八十六歳の時に上梓されている。丁度四十歳年下だったボクは、三十代半ばから徐々に好きだった宗教・哲学あるいは経済学の書をほとんど読まなくなっていた。もともと詩、とりわけ明治以降の近代詩から現代詩を十代か…詳細を見る -
星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(末)」
星野元豊の「講解教行信証」全六巻を読み終わった。長い浄土の旅から自宅に帰ってきた。自然虚無の身、無極の体。はたしてこの境界に達し得たか? 思えば三十代前半、第二巻の「講解教行信証 信の巻」の道半ばで挫折。言い…詳細を見る -
星野元豊の「講解教行信證 化身土の巻(本)」
「水俣がこんなに近いんですね。お寄りする前に水俣駅周辺を少しぶらぶらしました」 「山下さん、わたしは、あれには怒ってるんです」 ボクのような若造がこんな感慨を洩らすのは、失礼かもしれない。しかし、「怒って…詳細を見る -
星野元豊の「講解教行信證 真仏土の巻」
「せっかくここまで来られたから、滝沢克己さんに会っていけばいいんだが、あいにく彼はドイツに行っているから……」 「滝沢先生……神即人、人即神の不可分・不可同・不可逆の原関係……この言葉を初めて知った時、震えました…詳細を見る -
星野元豊の「講解教行信證 信(続)証の巻」
ちょうど四十年前、鹿児島県大口市にある大嵓寺の住職星野元豊師をお訪ねした理由は、ただ、一度でいいからお会いしたかった、それだけである。なにか、引力のようなものを感じていた。仄暗い座敷に対座して、ほとんど朴訥と言ってい…詳細を見る -
星野元豊の「講解教行信證 信の巻」
一九七七年五月、鹿児島県の大口市にある大嵓寺に星野先生をお訪ねした折の思い出を、少し語りたい。この頃、先生はライフワークの「講解教行信証」の執筆に集中していて、おそらくボクのような一面識もない若造を相手にしている時間…詳細を見る