ギリシア悲劇全集第三巻エウリピデス篇Ⅰ

この集にはエウリピデスの10篇の作品が収録されている、この中で「レーソス」は偽作かもしれないと言われているが。

 ギリシア悲劇全集第三巻(人文書院、昭和44年10月20日重版)

 ギリシア悲劇について門外漢のボクがつべこべ言うつもりはない。ただ、ギリシアや小アジアのそれぞれの国家がその成立に神の力が働いていること、つまり国家には必ずその国家特有の神の後楯が存在している。

 それからギリシア悲劇につきものなのが、戦勝国は常に敗戦国を奴隷にすることだろう。従って農業や羊の飼育などの労働はほとんど奴隷が従事していただろう。その土台の上で、都市国家の市民が生活しただろう。

 ここから矛盾が出てくる。神の後楯で成立した国家が、敗戦し、奴隷と化し、敗戦国家の権力の中心にいた女たちは女奴隷として、戦勝国の権力者の性の奴隷になる物語がしばしばギリシア悲劇に描かれている。結局、戦勝国の神は正義であり、敗戦国の神は無力だったのだ。

 一例をあげよう。「トロイアの女」に登場するプリアモス王の妃へカペ、もちろんホメロスの「イーリアス」に書かれている通りトロイアはギリシアによって壊滅するのだが、そのトロイアの女王へカペがギリシア軍の捕虜になって目も当てられない惨劇を味わう。へカペはこう言った。

 「神様方のお心は、ただ私を苦しめ、トロイアをば、とりわけて憎もうとなさることであったとしか思われぬ。牛を屠って勤めた奉仕も空しいことであった。」(366頁)

 「いや今さらなんで神の名をよぶことがあろう、これまでいくたびもその名を呼んで祈ったのに、かつて聴いて下されたことのない神々であるのに。」(367頁)

 悲劇詩人エウリピデスは、神の無力を直視し、限りなく無神論へと傾いているだろう。

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