ボクが藤井さんの作品を読み始めたのは、ここ4年くらいで、それ以前の作品はまったく知らなかった。ボクが彼女の作品にひかれたのは、一言でいって、自分自身のしっかりした地下都市を見事に確立しているからだろう。そして同時に、この地下都市と地上世界を往来する彼女の言葉のしめやかな味わいだったろう。
「しらじらとして 白々と」(藤井章子著、2001年12月6日発行、草原舎)
ボクが最近書いた「ふたりだけの時間」という作品を藤井さんにお送りしたのだが、丁重なご返事にこの作品集を添えてお返しいただいた。彼女のひと昔以上前の作品集で、膵臓癌でおなくなりになったご主人へのレクイエムだった。ご主人がおなくなりになる数年前の作品も併せて収録されていて、その落差がいたましい。
藤井さんの作品を読んでいると、抽象世界を具象言語でウイットを交えて表現する作品を既に若い頃から書いていたのではないか、ボクはふとそう思った。
作品集「しらじらとして 白々と」は、巻頭詩「ありがとう」と連作「しらじらとして 白々と」10篇で構成されている。そして「あとがきに代えて」の間に、ご主人がご健在だった時の作品13篇が挟まれている。
おそらく膵ガンと知って2ヶ月ほどでこの世を去ったご主人によって、この現実世界と分水嶺を描く「虚の世界」(本書12頁)が藤井さんには現前しただろう。それは従来の抽象世界とは違って、極めてなまなましい無の世界だったろう。ボクは以前それを「地下都市」と呼んでいたが、むしろ、言葉の正確な意味で、自分自身の「内なる墓場」と言い切っていいのかもしれない、この現実世界に「内なる墓場」を背負って生き続けていくのだと。
藤井さんの表現で感心するのは、例えば、「しらじらとして 白々と」の「7」で死者の列に祖母が座り、その「8」では、祖父と祖母と夫が幻視されていることだろう。ここから先は、自分の死も含めた、絶対死の世界がやって来るのだろう。
夫の死から10年後、藤井さんの作品にはめずらしく、ついに耐えきれずして、肉声が込みあげてくる、「おとうさん 変わっていないわが家にまた戻ってらっしゃい」(本書44頁)、この言葉はボクの胸にいつまでも痛切に響く。
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