山中従子の「やわらかい帽子」

 一口に「夢」といっても、いろいろ、ある。この本に束ねられた言葉の世界は、確かに、第一部の散文でガッチリ固められた詩群も、第二部の行替えで柔らかく構成された詩群も、言うまでもなく「夢」を言語によって「ポエジー」へと転換する作業であるが、ほとんどの素材が「悪夢」に近い「夢」であってみれば、極めて困難な転換作業だったろう、私はそう推量している。

 「やわらかい帽子」 山中従子著 思潮社 2020年9月25日発行

 先に言ったとおり、この詩集の素材が「悪夢」に近い「夢」だと言っても、単なる「惡夢」というイメージだけではなく、そこには言いがたい「哀愁」や幼年期への「ノスタルジア」など複雑系の情緒がからみあって反響しているばかりではなく、薄明の奇妙な風景の中でじっと耐えて何ものかを待ち望む、そんな呆然とした姿が立ち尽くしているだろう。

 我に返ると

 長く伸びた自分の影に

 つっかい棒されて

 夕焼けの中に

 置いてきぼりにされていた(「時間」、本書64頁)

 上掲の詩は、本書の中で最も短い詩であるが、この「置いてきぼりにされていた」という一行は、敢えて論理の飛躍を覚悟して言えば、この詩集の根底を支えるなにものか、であろう。いったい、この著者は何に置いてきぼりにされたのであろう。この「何ものか」をひたすら探し求め、あるいはそこから拒否される「悪夢」を「ポエジー」へと困難を極めながら転換する言語作業によって、本書は成立したと言っていい。

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