「イリプスⅢrd05」を読む。

 前号に引き続いて、詩を中心にしたこの総合文芸誌を読み続けた。前号の私の紹介文は10月24日付の芦屋芸術のブログをご覧いただきたい。

 季刊「イリプスⅢrd05」 編集/イリプス編集部、編集人/松尾省三、2023年10月10日発行

 詩に関して言えば、それぞれ成熟された言葉で構成されていて、楽しませていただいた。中でもとりわけ注目したのは神田さよの「電話ボックス」、倉橋健一の「洞窟の中」、この二作だった。

 野沢啓の「吉本隆明の言語認識」、この論考は吉本隆明との苦闘・批判を通して成立したものだった。無意識から直接やってくる言葉、これをしも詩といっていいのだろうか。粘り強い言語との格闘劇の一端を見た。

 たかとう匡子の「私の中原中也読み」は、前号の同題論考と併せ読むことによって、血肉を持った中也の姿が読者の脳裏へ描かれるに違いない。中也の死まで書かれているが、ここから先、まだ展開があるのだろうか。

 海外の文学の翻訳も素晴らしいと思った。前号に引き続いて細見和之が翻訳するマルティン・ブーバーの作品が紹介されている。ユダヤ人を考える場合に視野に入れておかないと、いたずらに反ユダヤ主義がやって来るのだろう。また、劉燕子が翻訳するツェリン・オーセルの詩作品「チベット断層」に私は打たれた。言葉は悪いが、素晴らしい作品だと思った。

 前号でも言及したが、後藤みな子の小説「昼の月」(連作三)はいよいよ昼の月が空に浮かび始めた。読後、私の心の奥にもしばらく昼の月が浮かんでいるのを覚えた。

 数々の作品をご紹介できなかった。申し訳ない思いで、筆を擱く。

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