詩誌、四冊を読む

豹樹Ⅲ No.17     2012年9月30日発行
KAIGA No.92     2012年11月30日発行
ココア共和国 vol.11  2012年12月1日発行
すてむ vol.54     2012年12月10日発行

現在、人間ってどんな詩を書いているんだろう、あるいはこう言ってよければ、どんな詩が書けるんだろう。これらの詩誌はこんな古風な問いかけにも答えてくれるだろう。詩を書くことは詩の本質への応答でもあるのだろう。

豹樹ⅢNo.17は5人の詩人の詩と、一篇のエッセイ、後記で構成されている。その中から山中従子の詩「箱の形をしたいちにち」。朝、箱の中からその男はカメラを持って出かけ、彼岸花を撮り続け、眠り、翌朝、夢で発生したあの箱の中から……概略ではあるがこの詩のお話はここで終わっている。おそらくこういった詩は山中従子の力量をもってしてその気になれば毎日5篇以上かけるに違いない。余談だが、この詩では、翌朝も同じ光景や行為が反復されているのかは不明である。僕ならもう一行書いて、その男が同じ「カメラ」を持って出かけるのか、あるいは、例えば「包丁」のようなものを持って、それとも「縄」のようなものを、おそらく僕なら、そんな一行を書きたいところなのだが。彼女のもう一篇の詩「若葉」。この詩は彼女の現在の苦渋を暗示していると言っていい。見える言葉は過去の葉群だけで、未来の若葉は閉ざされている。失語の崖の深淵が。

ココア共和国vol11を読んでいて、秋亜綺羅の「秋葉和夫校長の漂流教室」がmidnight press WEB第4号(12月1日)に同時掲載されているのを知った。そして「編集前期」に懐かしい名前「岡田幸文」が出ていた。僕は中江俊夫を介して彼と2、3回会ったきりだが、もう二十年近くなるか。おそらく僕もまた一面識もないが秋亜綺羅同様、ブルジョアを批判するなら彼等を超えてみろランボーの銃商人みたいに、そんな皮相な人生を渡り歩いたのかもしれない。それはさておき、今回も立派な詩誌を発行されたと思う。詩集「透明海岸から鳥の島まで」を出版した直後にこれだけの詩誌を出す、秋亜綺羅のエネルギーがキラキラ光っている。

すてむvol54。いい作品がたくさん並んでいる詩の食べ放題というところか。長嶋南子「こわいところ」。ブラックユーモアのコント仕立て。軽妙な語り口がステキだ。藤井章子「とろみのある葉月」。僕は以前から彼女にはどこか怪しい料理の達人めいたところがあると考えていた。今回提供された瓶詰を食べると全身がどろどろ溶け、赤黒のとろみになって、肌足煮込み汁の狂った赤だしになってしまうのか。青山かつ子「再会」。松尾和子も「再会」を歌っているが、あれはヤクザな歌でそれでも僕は好きだったが、この「再会」はほとんど「幽界」で四谷駅経由、喫茶「ルノアール」で出没する怪談だろうか。井口幻太郎「ある信仰」。なぜかおかしい。閣田真太郎「或いは大根的……」。これもおかしい。そうだ。僕は納得する。おかし味のない詩作品なんて、フォークのないステーキ料理ではないか。

今回も、さまざまな詩人に出会え、とても楽しいひとときを頂戴した。結局、詩の本質は、本質への各自の応答にあるのだろう。あらためて、詩を読むってステキなことだと思う。

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